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落ちる夏|朗読台本・フリー台本

蟻は彼を愛していた。真っ直ぐに伸びる姿は美しく、形の良い大きな葉も、地面を掴む力強い根も彼にぴったりだった。何よりもその花の鮮やかさ!夏を彩るどの色にも負けない鮮やかな黄色は、蟻に隕石が降ってきたかのような衝撃を与えた。
毎日毎日、暑い風を受けても涼やかに背筋を伸ばす姿に見惚れながら蟻は働いた。そんな日々の中、彼に想いを伝えたい。と、蟻はいつしかそんな夢を見るようになった。自分の小さく真っ黒な身体は彼には相応しくない。それでも、小さな想いの一欠片でも伝えたいと思ったのだ。
それからも毎日は変わらなかった。蟻にとって彼は美しく遠い存在で、その声が届くことはない。彼がいつも見つめているのは、いやに眩しい憎い女だった。気まぐれに顔を出したり隠したりする彼女を、彼はいつでも真っ直ぐに見つめていた。蟻はそれがひどく口惜しかった。ずっと見つめていても届かない。たったそれだけの、だけどそれだけが、蟻を苦しめていた。
ある日のことである。彼がふらりと風に煽られていた。いやに大きく揺さぶられているな。と、気づいたときに、彼がほんの少し俯いていることに気がついた。それから日に日に彼は俯く角度を深くしていった。すっかり地面に近くなった彼は、もう鮮やかな花弁を散らしてかつての凛とした美しさをなくしていた。
ざわざわと木々が揺れる。生温い風を残して季節は変わっていく。地面に横たわった彼はもう空を見上げることはない。ぽろり。と、涙が溢れていく。ぽろり。ぽろり。地面に白黒模様が広がっていった。
蟻はそっと彼の涙に手を伸ばす。その一粒すら蟻の身体には大きくて、抱きしめることも叶わない。
蟻は彼のことが好きだった。

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